読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あと最近バイセクシャルになったかも。

ニートになった経緯② ちーこぶ、親との関係が腐り始める。

こんばんは。

少しずつ仕事に慣れてきて、ちょっと嬉しい「ちーこぶ」です。

ですがやっぱり「元・ゲロ高学歴ニート」です。

 

ニートになった経歴①の続きです。

まだお読みになっていない方は、こちらからどうぞ!

*************

さて2013年3月に卒業し、

同じ年の11月に就職が決まるまでの間、

ニートをしておりました。

 

まず、5月に1ヶ月のアメリカ旅行から帰国して間もなく、

海外留学経験者のための「career forum」

(企業のブースとかがいっぱい出て面接機会とかもある)

とか参加してみたりもしましたが、

いかんせん元々就職したくなかったものなので就活に身が入らず、

とあるメーカーの海外営業職の面接の機会をいただいたものの、

結局お断りしてしまいました。

当時、真面目に働くのがバカらしくて、

起業したい気持ちはあったが結局何したらいいのかわからないので

次第に興味は移ろい行き、

最終的に路上パフォーマーに憧れて、少し芸術関係の仕事してみたいと思っていたんですよ。

だから交通費も出る面接だったのに、結局辞退。あーあ。

今思えば、私もバカやったなって感じだけど、

当時は何か自分で道を切り開かなきゃという思いでいっぱいで、

空回りして、迷走していたことに全然気づかなかった。

 

そして、ある時ふと母親に、

「何か芸術関係の仕事とかしたいんだけど…」と何気なくぼそりと言ったところ、

 

「そんなんでどうやって食べていくの!?学費は誰が出すのッ!?」

 

と、母が大激怒しました…

その瞬間、私はぷつり、と精神の箍が外れた気がしました。

思えば在学中から就活に興味がなかった私に対し、母はその頃から自分の給料明細を見せてきたりしてさり気なく、娘を焚き付けようと試みてはいました。

いつも官僚や大企業に興味はないのかと聞いてきました。

でも私からしたら、それもイライラした。

例えば、世間的に受け入れられやすい、

「超有名旧帝大大学の医学部に入学」とか「海外留学」のライフイベントは手を上げて喜んだくせに、

娘が就活しないだけで、こんなにも牙を向くのか、

手のひらを返すように、攻撃に回るのか、と我が母親の豹変ぶりをみて、

母への信頼感が一気になし崩しに壊れました。

それで、

「こんな親とは、もう2度と口を聞くまい」

と、

以来、まったく家族の誰とも喋らなくなりました。

(もともと父や兄弟とは話さない子でした)

コミュニケーションが破綻した瞬間でした。

それまでに少しずつ人生がうまくいかないな、と静かに精神が崩壊に向かっている頃だったのに追い討ちをかけたのが母だったと思います。

母はこれ以外にも一度ヒステリーを起こし、

「お前なんか出て行け!」

と夜中に大騒ぎして、私を家から追い出しました。

私がそのまま出て行くと、慌てて車で追いかけて

「家に戻りなさい!」

と、これまた叫んでいるわけです。

私はそれに対して、感情のない壊れたロボットのようでした。

無反応を決め込む。

私ができるささやかな復讐でした。

優秀なペルソナの娘は受け入れて、

就職活動をしなかったダメな娘は受け入れてくれない、

俗物的な親へのせめてもの制裁だと思っていました。

私も傷ついていました。

でも誰も、親でさえも頼れなくなっていました。

 

最終的に母は、

「これをあげるから、旅行でも何でもしなさい、お願いだから家から出て行って!」

と手切れ金のようなものを私に用意しました。

…そういうことじゃないんだけどね。

私はその手切れ金をほぼ貯金にして、

浪費することもなく、また家を出ることもなく、

11月に就職するまで、

ずっと家にこもりながら、お金には手をつけずにいました。

就活などで交通費など多少は利用したものの、

元本を割ることなく、今も銀行に眠っています。(返してないよ苦笑)

 

11月に就職するまでの間、

自分を完全に見失っていたので、

自己啓発セミナーなるものに引っかかったりもしました。

その時今でも印象に残っているのが、セミナーの主催者側の人に

「あなたには悪魔が憑いている」

と言われたことでしょうか。

確かに当時は、

道を歩いていても、全てにおいて、

現実感がなく、空虚で、とにかく何も実感がない、感覚がない、

生きているのか死んでいるのかも上手く捉えきれないような状態に

置かれていました。

それをセミナーの人はそう表現したんでしょうね。

自己啓発セミナーが終わると大概の人はすっきりするのでしょうが、

私の目は依然と同じようにどす黒い闇の中で朦朧としている感じでした。

セミナーが終わった瞬間に、いつもの虚無の日常に戻って、

からっぽの自分が街を浮遊霊のように動いている感じでした。

 

だから今でも11月に無事就職できたのが、不思議です。

それなりに英語が喋れたから重宝したんでしょうね。

あんなに暗い感じだったのに、それほど人材不足だったんでしょうか。

ちなみにボーナスも残業も出ないブラックよりのホワイト中小企業でした。

 

就職が決まって保証人欄の記入のために、親に書類を書いてもらうのですが、

その時、母が心底驚いたように、

「就職決まったの?おめでとう!」

とサラッと言ってのけた時、

私は正直、

「ふざけるな!」

と心の中で毒づきました。

繰り返すようですが、

優秀な娘の姿は素直に受け入れ、就職した娘を受け入れ、

就職できなかったダメな娘は亡き者にしようとするような態度に、

腸が煮えくり返る思いがした。

以降、仕事をしてなくてニートだった時はあれだけ私を疎ましい存在のように扱っていたくせに、仕事が始まって残業で早朝深夜にしか姿を見なくなった瞬間に、

甲斐甲斐しく世話を焼こうとする母が、

ますます大嫌いになりました。

でもそれも全て心の中に抑え込んで、

家族とは一切喋らず、憎しみと恨みを募らせていたと思います。

 

以上です。

身勝手極まりない私の姿は見苦しい以外の何物でもありませんが、

どうかご容赦願います。