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cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あと最近バイセクシャルになったかも。

【ニートあるある?】②〜親との関係をこじらせる

こんばんはー。

今日は早朝から仕事で午後に終わりました。

「元・ゲロクソ高学歴ガチ引きこもり兼ニートこと「ちーこぶ」です。

ちょいちょい冒頭の枕詞で遊んでます。笑

 

ニートあるあるです。

 

両親との関係について。

 

引きこもっていた時期は、罪悪感を持ちつつも親のこと恨んでました。

それで一言も発せず、

「おはよう」と言われても完全に無視していました。

最初は親も反応を引き出そうと試みていたようですが、

私がピクリとも表情を変えずに無言を貫いていたので、

程なくして諦めたようでした。

とにかくコミュニーケーションを取りたくなかった。

言葉のやり取りをすれば、向こうの意図を勝手に呑み込まされる気がして、

そんなことは死んでも嫌で、

無反応でいることが、壊れかけた自分をこれ以上傷つけないための

最善の防衛策のような気がした。

だから日常生活の基本的なことも結構大変だった。

・就活始めた時など、印刷したいと思っても、自宅のコピー機は私のパソコンとは同期してないので、親に頼まない限り使えない。だからわざわざデータをPDF化してUSBに入れてコンビニまで歩いて印刷しに行く。

・外出時雨が降っても自力で歩いて帰宅する。(駅から徒歩25分くらい笑)

・食事したくない時にあらかじめ「いらない」と伝えないので、

部屋に食事が運ばれてくると手をつけず、皆が寝静まった頃を見計らって冷蔵庫に食事をつっこむ。これは、食べたくない私もストレスだし、作った方も食べてないのを知ってストレスなようです。

(すみません。引きこもりは部屋から出ないので食事も親が自室へ運んできます。

てめーは年老いた親に食事運ばせてんのか下衆野郎!

と思われましたか?その通りです。)

などなど。

普通の生活に支障が出ます。

コミュニケーションできないのは、自分の意思を伝えられないのですごくストレスです。でもそのもどかしさを差し引いても、沈黙を貫くことが私の中の私?を守るために必要だった。とにかく、コミュニケーションに混じり込む介入や干渉といった不純物を排斥するのに一番手っ取り早いのは、コミュニケーションそのものの一切を拒絶をして、自己を隔離することでした。誰にも心を開けない以上、自分の事は自分で守るしかないということだったんでしょうか?当時はそこまで頭が回らなかったですけどね。

親に対する復讐の気持ちから始まった「沈黙」ですが、それが自然になると自らを守る「防御壁」へと変わっていった気がします。

 

で、今現在。

最近社会復帰をしてからは、引きこもりの当時と比べれば、親とのコミュニケーションは復活しました。が、やはり引きこもりになる前と比べれば、全快した訳では全くない。仕事で明るくハキハキ喋るのとは雲泥の差で声は低くぼそぼそ喋り、最低限の言葉しか交わさないし、親の前で笑顔見せるなんてとんでもない。そんな事もうできない。けれど今はそれでいいと思っています。

親を「自分の親」としてアイデンティティを固定してしまうと、

身内だという認識からか、過度に期待してしまい自分が辛くなる。

でも少し距離を置いて親と接すれば、親も親である前に一人の人間なんだと思える余裕が少ぅ〜し(ほんの少ぅし、1μgぐらい)生まれるので変な期待を投影せずに済む。

こちらは、もう素直に喜怒哀楽があまり表現できないけど、その代わり感情的にもならずに冷静に対応するようにはなった。

私の対応は100点じゃないけど、でもいいや〜って感じ。

今の距離感を無理に変えなくていいや〜って。

それに親は親で、引きこもって完全に社会性が欠如していた娘が仕事始めて親元を離れて一人で生計立てているから、安心なんじゃないかな。

やたらと連絡来るし。笑

 

「親の心、子知らず」を

まさに体現している超絶不良債権娘です。

(あ。不良債権というのは、娘を大学・留学にやるために相当な教育費をつぎ込んだのに回収できてない感じがまさに銀行の不良債権問題と一致するからです。笑。まあ、銀行は貸付で、親はどちらかというと利益の回収の見込みがない企業に投資したエンジェル投資家と言った方がニュアンス的には合ってるのかもしれませんが。私は相当利回りの悪い企業のようですね)

 

で、最後に「そうは言っても、これまで支えてくれた親には感謝しています」

と言ってブログを締めると、

すげー軽々しくて、胡散臭くなっちゃって、

何か人気取りに走っているように見えかねないので、やめときます。

感謝という言葉が霞むくらいに、親はただひたすらに見返りも求めず衣食住を提供してくれていたと思うよ。そういう風に言うのが一番的を射てます。

 

敢えて言うならば、

色々つらいことあったけど、

一人で立ち直って

「今ここでこの瞬間、ちゃんと生きている」

ことが、親への感謝の証明にはならないでしょうかね。

 

何度も死にたいと、消えたいと思ったけど、

今ここでちゃんと生きているという事実に私は本当に感謝しているよ。

これじゃ、自分への感謝か。

でも本当にそうなんだよ、

なんか泣けてくるよ、

あーあの時死なないでいてくれてありがとうって、

引きこもって苦しみを一身に受けていた当時の自分に、

感謝の気持ちで涙が止まりません。

本当、思い出すだけで辛かったもん。

 

うー。

何か本題とずれちゃったけど、

ちーこぶ、元気にやってます。