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cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あと最近バイセクシャルになったかも。

ニートの人、そのままでいいよ。ー色々な観点からニートについて考えるー

今、ニートだったり引きこもっている人に伝えたいことは、

 

焦らずにとにかくそのまま休んでいて下さい、ってことです。

 

引きこもっている時に無理に事を動かそうとしてはいけない、そう思います。

ただ、今のその苦しい状態をとことん苦しみ抜いて、そして孤独の中で自分を休めてあげてほしい、としか経験者の私には言えません。

その間、すごく辛いんです。

辛いんですけど、その中で古い過去の執着と未来への不安思考で凝り固まっていた自我が少しずつ崩壊していきます。そして小さなことから少しずつ取り組むことができ始め、気がつくと自然に行動が起きてくる時が必ず来ます。ただ、その時ばかりを期待することは未来への意識の投影になるので、いつか、いつか、と期待するのではなく、今この瞬間辛いなら辛い時を、苦しいなら苦しい時を、絶望なら絶望をそのままに受けて止めて欲しいです。

そのままに受け止めるとは、難しいですが、ただ淡々と今の状況を見つめることです。

その際、重要なのは、

一切の善悪の判断をやめること!!!

ここで自罰的になっては苦しみがずっと続くことになります。

例えば、「あー私働いてない」と思ったらそこで終了。これがただ淡々と状況を見つめて受け入れるという事。

「働かない自分はクズだ!ゴミだ!」とか自罰的な事は考えないこと。

どうしても思ってしまうなら、それを第三者的視線で観察することが重要。

 

「あー私働いてない。親にも社会にも迷惑かけている。でも働きに行ける自信がない。もうやだ、消えたい、死にたい…」

 

と思って悩んでいる自分がいるなあ…

 

 

と、第三者的視線を入れて、自分の頭の中をめぐる思考に光を当てて無自覚な自罰的思考を照らし出す。そうすると変なエゴ意識が消え始めて、徐々に心は少しずつ軽くなると思います。もちろんこれは一つの方法にすぎないのですが、それ以外のアプローチについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。

 

自分が自分に変な期待をしない事、且つ、周囲があなたへの期待の投射を止めて、しばらくして初めて、変化の兆しが現れ始めます。私も「こんなはずじゃなかったのに」という思いが自然と消えて、且つ、家族が私へ干渉しなくなって、随分と経ってから次第に社会復帰へと歩み始めました。

 

私は社会復帰を望んでいたから結果そうなりましたが、

悩んだ末に、やっぱり引きこもっている方がいいと悟ったなら、それが貴方にとっての正解です。大いに今のその環境を享受してください。そして働きたくなったら働けばいいんです。状況はいつだって流転するものです。そしたらその流れに乗ったらいいんです。危機が訪れたらどうするのだと、やたらと未来不安を煽る人や、宣伝や、社会が存在しますが、そもそも今この瞬間に起きていることに対処していないことは全て杞憂であり、妄想です。なので、その時が来たらその時で、とにかく自分の手の届く範囲で取り組んでいけばいいのです。だいたい、人は悩む時は必ず、終わってしまった過去とまだ来ていない未来に思考を馳せていて、「今」を蔑ろにしています。今、やっていることだけに意識を向けたい。

 

今の世の中は働かない人をニートとか引きこもりとか名前をつけて、吊るし上げていますが、それは資本主義と功利主義が生んだ究極的なゆがんだ発想だと思っています。つまりは、「条件付け」と「効率化・合理化」の社会基盤です。

「⚪︎⚪︎ならば」思想の蔓延です。

「働け」ば「お金」が入る。

「頑張れ」ば「報われる」

そして益々なる利益のために徹底的な無駄の排除という利己的で究極的な功利主義が、なぜか人間性にまで及んでいる気がします。でもこれはとても変な事です。

文明が発達し、これまで人間がやっていた事が機械によって取って代わられると暇な時間ができますし、これからどんどん人の仕事はなくなり、自由が増えていくわけですから働かない人がいたっていいわけです。そもそも、そんな機械化が進む前から、本来人はそれなりに遊んでいて自由でいたわけです。原始的な生活を送る種族を見るとわかるのですが、狩りに行くのは一部の人で、多くの人は狩りにもいかずほのぼのおしゃべりしたり木の下で休んだりと思い思いに過ごしているのです。そしてそれでも食べ物には有り付いているのです。働かざるもの食うべからずではなく、生きてさえいれば食べ物にありつけるのです。皆んなで分け合ってます。

近現代になってからも働かない人はいましたが、今のように「ニート」「引きこもり」など、働かないでいる状態を表す言葉がなかったので、あまり社会的には脚光を浴びなかったのかもしれません。

(※ちなみに物事というのは、最初に「もの」があるのではなく、「名前ありき」でスタートします。わかりやすいのは出世魚。海外では例えば食卓に上がる魚の種類なんてほんの少ししかないです。ところが日本では、「ぶり」「はまち」「いなだ」など名前が付けられた瞬間から魚の区別が始まり、「もの」として生を受けます。)

 

話を戻します。赤道直下など暑い地域では、高温の中働くのは危険なので昼間はみんな活動を休止して寝ているなんてことがままあります。暑い中ふうふう言いながら体を酷使して働いているのは先進諸国くらいでしょうか。これは実は危険だったりします。これまでの長い人類の歴史の中で地球の平均気温は低く保たれた状態で、その条件下で適応するように身体は発達してきたので、暑い中働きに出るなんてそもそも人体は対応しきれないのです。だから暑い中働き過ぎれば、自律神経に負荷がかかって、熱中症になるなんて当然のことで、個人的には「何だ案外倒れる人少ないじゃん、人間って丈夫だね」くらいに捉えていました。

 

現代社会では、功利主義と資本主義の発展により、人間ですら労働力に置き換えて、より生産性をあげようとしている訳です。(成長は絶対的な「善」だという考えに基づいているのでしょう。)だから働かない人は「無駄」として社会的に不名誉な立場を与えられてしまっているのです。

主婦だって働いてはいません。投資家だってお金を持って稼いでいるだけで働いてはいません。(お金を運用して自分の代わりにお金がマーケットで働いてる感じ。)主婦は家事やっているじゃん!と豪語する方もいるかもしれませんが、ニートだって家事をしている人はたくさんいます。ところが社会的扱いは雲泥の差です。投資家に至っては税金を払っているため、世間から後ろ指さされることはありません。ここでも資本主義・功利主義下での条件付けの「⚪︎⚪︎ならば」思想が垣間見れます。「税金を納める」ならば「受け入れられる」。

 

主婦だけが市民権を得ているのは、それが「生産性」として社会に法的に組み込まれているからです。諸外国の事情について私は疎いですが、日本では、

高度経済産業を支える基盤として、男性が働きに出て女性が家を守るという形態がありました。効率が良かったんでしょうね。現に税制度の優遇措置などもとられています。だから主婦の人も実は生産性の一部としてみなされていた、だから社会的市民権を得ている、ということを知ってもいいと思うのです。ただここで注意しておきたいのは、私はそれについて批判している訳ではありません。私情はないし、善悪の判断をしてほしくないです、主婦の人はアイデンティティをそこに結び付けないでください。私は制度について自分の解釈は語っても、一個人の人格や人間性まで言及はしてません。

しかし経済発展がほぼ完了すると、男性だけが働く世帯は減少の一途をたどり、現在は両親共働きの世帯の方が上回っています。そうするとこの制度は現代社会に合わないものになりつつあります。

このブログはニートについて語るものなので、専業主婦についてはもうこの辺にします。

 

長々と語ってきましたが、言いたかったのは、

今の世の中だと否定的な見解が多いかもしれないけど、

本来働かなくとも人間性が否定されるわけじゃない、

自然な姿です、

ということです。

罪悪感を植え付けるような考えが蔓延していますが、

はたしてそれは一体誰の考えなのか、一度吟味して欲しいです。

それは本当に貴方の考えなのですか?

誰か別の人の思考ではないですか?

 

私自身社会に組み込まれているので、説得力がないのは重々承知です。

用いているデータも詳細まで調べているものではなくて、うろ覚えのものもあります。

論理的に飛躍している記述もありそうです。

そんな曖昧な知識で色々と語るな、と言われるかもしれませんが、

そんな貴方は素晴らしい見識をお持ちなので、こんな世迷言のブログにいちいち目くじら立てることなく、貴方の信じる考えをそのままに貫いてください。

幸い(?)このブログは影響力も少ないです、苦笑

 

以上、長々と語ってしまいました。

もっと多様性のある世の中へぐんとシフトしていけばいいなと思います。

ここまで読んでくださった方いたら、ありがとうございました。