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cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あと最近バイセクシャルになったかも。

f*c*bookを再開したけれど

こんにちはー。

元・ゲロ高学歴ニートこと「ちーこぶ」です。

 

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通算で、約2年半くらいに及ぶ引きこもり生活を卒業し、最近社会復帰をしました。

それで大分自身を肯定的に受容できるようになったので、

沈黙の期間、ご迷惑をおかけした方々に(自己満足だけど)謝罪の連絡を入れるため、有名なSNSの一つであるf*c*bookのアカウントを再開した訳ですが…

 

うーん…

 

やっぱり自分は人間的に未熟なままなのか、

他人の近況報告などを久々に目にすると、

とてつもなく衝撃を受けるものなのですね…

 

ある程度、ニート兼引きこもりを通して、精神的苦悩と絶望の山場を乗り越えた結果、

かつての自我は崩壊し、新たな自分として一皮剥けたと思っていたのですが、

やはり自分は3年前からあまり変わらない一方で、

かつての同胞たちがどんどん社会で活躍するのを見ていると、

やはり比べてしまって、

勝手に劣等感を抱くちっぽけな自分が未だにいるようです…

 

私は、最近まで社会的肩書きの抹殺されたお籠り生活でしたから、健康な体ぐらいしか所有してなくて人様に報告できるような進展などない。

(しかも健康な体とはいうものの、腰痛持ちで完治した訳じゃない)

でも大学時代(ちーこぶ同様ゲロ高学歴)の知人たちの近況はというと、、、

 

・結婚してる、子供もいる人もザラ

・仕事しながら国費でアメリカの大学院に留学中

・フランス出張中(もちろん大企業)

・お給料で外車を購入

・早々に出世して管理職

・etc...etc...

 

と言う感じで、いわゆる社会的成功の布石の上を順調に歩んでいる人たちの情報がタイムライン上にわんさか上がってくる訳です。

一方の私は、

薄給の中小企業で働き、

休みの日は、友達と呼べる人も居らず、家でのんびり一人で過ごす毎日。

自分としては、引きこもりも卒業できたし、それなりにささやかな毎日を幸せに生きているのだけれど、

こういったかつての同胞たちを見ていると、

客観的に見て、自分はきっとドロップアウトした人の末路的生き方なのかな…と物悲しく感じてしまったりもする。

かつて同じ釜の飯を食った同胞たちとも、ここまで歩んできた道が異なると、話せる共通の話題にも事欠くだろうなと容易に想像できてしまい、過ぎ去った日々と物理的にも精神的にも離れてしまった距離への寂寥感が否めません。

私さえ、距離を感じなければそれでいいのでしょうけど、

それを享受できるほどまでには、人間的に成長してないのでしょうね。

まだまだ自分の中に捨てきれないプライドを大事に抱え込んでいるのでしょうか。

ああくだらない…

 

そんなこんなで、

ひっそりとf*c*bookを開始してはみたものの、洪水のように溢れてくる情報に逐一心乱されるような私にとってはあまりメリットを感じられないのです。

まあ皆さん、わざわざ病気になったとか、引きこもったとか、そういう一見ネガティブな情報の言及は控えるのが常だから、他人の芝はSNSを通してみるとより一層クリアな青に見えてしまうのかな。

みなさんなら、どうですか?

私には、、、そりゃもう青々とした芝に見えるわけですよ。

 

社会的に成功した人からすれば、たとえどんなに資産を持ち、物を所有し、人脈や権力を手にしていたとしても、最終的には所有物にアイデンティティを見出さず、己の心に従うことや穏やかに生きることの重要さを説いてくれるのかもしれないけど、まだ社会的に成功しているとはお世辞にも言い難い私が仮に同じような境地に到達していたとしても、世間は私の生き様を見て素晴らしいとは思わないかもね。

つまり、簡単に言うと、お金持ちが「金が全てじゃない」といえば説得力もあるけど、私が自身の実生活にほのぼの満足しているからといって「金が全てじゃない」と言ったところで、説得力の欠片も感じないですよね。説得したいわけじゃないんですが。そういったところで、負け惜しみに聞こえてしまうのが世の常というものですか?汗

 

だからこそ、他人や世間の評価軸ではなく、自分の心を信頼して自分軸に委ねて生きる生き方が大切なのでしょうか。

 

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あf*c*bookを再開して良かったこともあるよ。

日本人はともかく、海外の友人たちとは繋がっているのが大切だから、

直接メッセージとかタイムラインに書き込んだりとかしなくても、とりあえずいつでも連絡が取れる状態であるということは、大変ありがたいことです。