cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。

ニートか社会復帰か。私も矛盾する感情を抱いてます。

こんにちはー。

糖質制限ダイエットしたいと思いつつ、パンがやめられない意志薄弱な、元・ゲロ高学歴ニートこと、「ちーこぶ」です。あー駅前のクリームパン何であんなに美味しいんだ…?いい加減に厚生労働省グルコーススパイクを起こす糖質の中毒性と長期的健康被害についてそろそろ腰を据えて取り組むべきだよな…大企業と農林水産省から嵐のごとく反対が巻き起こりそうだけど。

という、戯言は置いといて。。。

 

今日もニートや引きこもりについて。

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私は、引きこもり兼ニートだったとき、社会的肩書きが不安定な状況がどうも苦しくて、結果として社会復帰しました。仕事でたまに嫌なこともあるけど、自分としては、引きこもっていた絶望の暗黒時代に比べれば、何てことはないと思えます。エゴを捨て、目の前にあることだけに集中していけば、その時ほど無心になれるものです。

 

私のニートブログはこの時代の辛かったことが多く書かれていて、ややもするとニートや引きこもりに対して変にマイナスなイメージを植え付けかねないな、と我ながら思っています。それは私が引きこもっていた時に物凄く肩身の狭い思いをしていたからです。誰からも何とも言われなくとも頭の中には「穀潰し」という言葉がヤニのようにこびりついていました。

 

ニートに対してマイナスな印象を与えたくはない。何か世間がニュースとかで取り扱う「ニートって役に立たないし、社会不適合者だよね」っていうメッセージの価値観はもう古い気がする。

本来、「社会が人のために存在する」のであって、「人が社会のために存在するのではない」、小飼弾さんあたりがそのようなことをおっしゃっていた気がしますし(曖昧ですいません)、それについて私は心から賛成しています。ただ、「人は働かねばならない、働くことが善だ」という信念に立脚した「労働教」の経典に雁字搦めにされて、逃れられないでいる人もいると思いますし、大抵の「信者」はそういうの疑う余地もなく盲信されていると思います。

私自身、未だに「働かないといけないかも」という考えから脱却することができず、だからこそ、ニート・引きこもりだった時にすごく辛かったのです。

これは自分でも抱いている矛盾した感情です。ニートや引きこもりというという社会現象を心から肯定したいと思いつつ、それを現に体験した自分自身を丸ごと承認することが未だにできていないのです。そういうと少し聞こえがいいかもしれませんが、例えばこれを異性に置き換えてみると丸裸にされた自分がいかに汚い人間かよくわかります。私は自分が引きこもり経験者なのに、ニートと働いている異性、どちらに惹かれますか?と聞かれたら「働いている人」を選んでしまう気がします。

話を戻します。ニート・引きこもりだった自分を完全には全肯定しきれず、隠しておきたい気持ちもある。世間はこういった「いいご身分」の人たちに対して比較的風当たりの強く、自分が責められることを想定して怖気付いているのですね。でも実際、人に話したところでそれを真っ向から人権侵害レベルの非難する人っていないんですけどね。

 

つらつらと書いてまいりまして、着地点が見つかりませんな。

 

よくニート肯定派の人でも、

「自分で稼げるなら」ニートでもいいんじゃない?

「人に迷惑をかけないなら」ニートでもいいんじゃない?

と条件付きの肯定をする方はいますが、それは辛いなあ…

その人たちの主張は要するに、「自分でなんとかするなら、ニートも存在してもいいんじゃない?」ってことですよね。自分で自分のことを全て賄いきれるようなそんな超人的な人っているのでしょうか?暗に存在するな、って言っているようなものでは?おー怖い怖い、ネガティブすぎるか?私…

(実際あったらひょうきんな感じなんですが。。。)

 

あーいいたいことがまとまらない。

 

表題の「ニートか社会復帰か」については、

正直どちらでもいいです。どんな在り方であれ、今のその人はその瞬間をベストの道を歩んでいると思う。ただ、思うのはどちらも肩の力を抜いてリラックスして生きて本人がそれで満たされて充実しているなら、それが一番かな、と。

問題は私の心の葛藤なんだと、改めて記事を書きながら思ったわけです。

 

さてトイレ行ってくるか。

毎朝快腸、ちーこぶ。