cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。あとノンケだけどレズビアン風俗で働いてます。

高学歴だけど、出世レールから外れた人にもっとスポットライトが当たって欲しい。生き方の多様性を示唆してほしいな。

こんにちはー。

元・ゲロ高学歴くそニート兼引きこもり経験&現在絶賛社会復帰中@中小企業こと、

ちーこぶです。

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私みたいに、人が聞いたらゲロ吐いちゃうほど高学歴な大学卒業だと、大抵はそれに見合った?大手企業や外資系企業、霞が関の省庁などに皆さん就職します(研究を志す人は大学に残ったり海外大学で研究者として研鑽します)。

 

でも、それだけが現実ではないのです。

華々しいキャリアを積まれる方も多くいるでしょう。しかし、旧帝大では毎年数千人の大学学部生と院生が卒業します。その全員が皆、大手企業や省庁に就職する訳ではなく、就活に失敗する人もいれば、私のように引きこもりなど経験し、全く学歴や経験年数不問未経験可の職種を募集していた中小企業に就職して、端から出世街道を外れた道をウネウネと進んで行く人もいるはずです。

ただ、そういう人は本人たちがあまり、主張したがらないのか、そこまで一般的ではないですよね。私の偏見かな?

だからこそ、pha氏のように、ニートであることを肯定的に捉えてメッセージを発信する人が現れた時、ものすごく注目されたのだと思うし、新たな多様性の出現の日の目を見たのだと思います。

 

命題「高学歴ならば、大企業・官僚就職である」

この命題の真偽は、「偽」である。必要条件でも十分条件でもない、という意識がより世間に浸透すれば、出世街道を外れた高学歴の人も楽に自由に生きられるのではないかな、と感じております。(ちょっと数学ⅠAの知識を拝借)

これは私自身にも言えることです。私だって、母校が好きなことには変わりないけども、華々しい大企業勤務や官僚としての出世街道を歩む旧友たちと再会したいと思えないのです。誘われたら会うこともあるだろうけれど、自分から積極的にコンタクトを取ろうとは思えないのです。会ったらきっと自分の境遇と比較して引け目に感じてしまう気がします。劣等感を完全に払拭しきれた訳ではないのですね、人間ですから。

 

そしてもう一つ思うことは、

大企業に勤め上げようが、官僚で働いていようが、海外を飛び回る仕事だろうが、外資系で勤め上げようが、ニートだろうが、引きこもりだろうが、中小企業に勤めていようが、ベンチャー企業で働いていようが、フリーランスで働いていようが、無職でいようが、フリーターでいようが、

「人間の幸せというのはそういう漠然とした『肩書き』で決まるのではなく、

日々の暮らしの中の小さな小さな出来事が充実し、自分が自分の人生を丁寧に生きられていると感じた瞬間にだけ、幸福が訪れる」

と私は自分が引きこもりやニートを経験する中で、確かに感じ取った感覚です。

日常生活とは本当に些細な出来事の寄り集まった刺繍のようなものです。細かい事柄が実は非常に大切です。

一人でゆったり過ごせる時間があるとか、料理をする時間があるとか、掃除できるとか、庭いじりでちょっと自然と触れ合えるとか、家族団欒でほのぼの会話するとか、夕焼けを眺めるゆとりがあるとか、リフレッシュにお散歩できるとか、通勤時間にゆとりがあるとか、好きな食べ物を嗜めるとか、仕事では自分の使う筆記用具や名刺入れはお気に入りを揃えるとか、

とにかく人生の大枠を占める「仕事」というカテゴリー以外での「衣食住」が充実している人は、自分を大切にし、毎日を丁寧に生きられていて、生きていることそれ自体に幸せを感じられるのだけど、そうじゃない人は自分自身の「人生」という刺繍が雑になってしまい、そこに編み込まれた模様がいかに荘厳であろうと、細かい撚り糸にほつれなどがあると、雑然としていてどこか味気ない「人生の刺繍」になってしまいます。そしてその模様に満足ができなくなり、その原因を自分の外へ外へと探そうとして、どうしようもなく満たされない思いに苦しむことになります。

何が言いたいかというと、毎日の小さな出来事に向かい合い、丁寧に生きようとしてるなら「肩書き」なんてものは関係ないし、自信もって出世街道を外れて横道に逸れた自分の人生を謳歌してくださいということです、自分自身への応援のメッセージを込めて。

 

だから、高学歴というフィルターを通すことそのものがもう無理難題なのですが、高学歴で出世街道から離脱した人も、

「でも、大企業に勤める奴らよりは人生充実してるぜ!」

なんて、肩肘張らずに、

ただただ、ありのまま、自分の進んでいる、もしくは停滞・後退してる道を教えてほしいです。

別に大それたことしようなんて、鼻息荒くしなくてもいい。

ただの日常でいいので、自分の生を生きている、他人になろうとしない、自分に回帰しようとしてる人の日記とかブログの発信が増えたらいいな、って心から思います。

 

ちーこぶも、元・ゲロ高学歴なんて言ってるけど、

「私」という人生にどの方向から光をあてて、皆様にお見せしようか考えあぐねたりするのですよ。うん。とりあえずは、「高学歴で英語も話せるくせに就活失敗した上にガチで引きこもって最近社会復帰した人」という体裁を繕って話してるけれども、その光の射影の仕方がベストなのかは、未だに本人でさえもわかっていないのですね。

 

まいっか。

ケセラセラ〜なるようになる〜

Whatever will be, will be.

 

ちーこぶ