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cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ

【これだけはやっておきたい!ニート卒業の作法】④片付けをしよう!!!!【思い出の品編】

ニート卒業への道 引きこもり・ニート関連

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

大学卒業後、通算で2年半くらい引きこもっていたけど、今年に入って無事社会復帰できた幸運なやつです。

 

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片付けの威力は偉大です。

これまでシリーズで、

片付け【洋服編】

片付け【書籍編】

を書いてきました。

最後に最も重要な項目の一つである思い出の品、の処分について取り上げようと思います。

 

 

思い出の品は、最初に取り掛かると、「ああ、懐かしい」という感情に邪魔されて、片付けが一切進まなくなるので、一番最後にやります。それまでに服や本を大量に捨てているので、思い出の品を処分する段階に来るまでに片付けの経験値が増えているのでやっつけやすくなってくるようです。

 

さて、私の「思い出の品」は「思い入れの違い」によって、自然と2通りに分類されました。

 

幼稚園から高校まで

②大学生時代

 

大学卒業後の品は一切ありませんでした。引きこもっていたからでしょう。それでも、2年半の引きこもりは連続ではなく、半年と2年でわかれて、その間は社会人経験もあったのですが、何も思い出になるようなものを生み出してはなかったようです。

 

で、思い出の品を処分する時に「自分がどのような思い入れを抱いていたか」が凄くネックになったのでした。

 

まず、【幼稚圏から高校まで】の場合。

小さい頃の写真や、図画工作で作った芸術作品(?)の数々。中学時代のアルバムや浪人時代の成績表など。

 

(少し余談になりますが、不思議だったのは中学時代の卒業アルバムを未だに持っていたことでした。私は中高一貫の私立女子校の出身者ですが、高校は先生と合わずに啖呵を切って中退していたので、その流れで出身校は未だに嫌いでした。私が辞める原因となった先生の顔をアルバムから削り取っていたくらい大嫌いで、その負の感情は時の経過とともに多少は和らいではいたものの、決していい気分にさせるようなものではなかったのにもかかわらず、部屋でとっていたことに少なからず驚きを感じました。)

 

上記の理由から、中学時代のアルバムなどはさっさと捨てられました。

問題はそれ以外の思い出の品々です。両親が私の成長の証として残していたのかな、と思うとこれから捨て去ってしまおうとすることに罪悪感を覚えました。

でも、ここでふっと思ったのは、

子供の思い出の品は、子供自身が処分しない限り、親は絶対に処分できないはず!

ということです。

愛しい我が子の成長過程の記録である図工の品やアルバムを捨てるのは親にとっては難しいことなのでは?特にそれが生まれてすぐの可愛い時期や、「おかあさんへ」など直接的なメッセージがついたもの(似顔絵など。私の場合は「お弁当(紙や画材で特大サイズのお弁当を図工の時間に作っていて、お母さんいつもお弁当ありがとう。私もお礼にお母さんにお弁当を作りました、のメッセージ付き、が飾られていました)」は、絶対に親自身は捨てにくいだろうな、と思ったのです。子どもの私が捨てずにどうする?との思いから、私はこれらのものと積極的におさらばすることにしました。

この時私自身のアイデンティティは、作品やアルバムには投射されておらず、同一視していなかったので、私が捨てるぶんには全く問題なく進みました。

(※生まれたばかりのアルバムなどは母自身が所有していたので、私は捨てていません。自分の部屋にあり私に所属していたものだけを捨てています。本当に親が大事にしている生まれたばかりの赤ちゃんの頃の写真などは通常親自身が保有しています。それ以外の品々は、普段視界には入らない私の部屋の屋根裏部屋に押しやられていて、親自身もどうしたらいいかわからなかったのでしょう)

 

 

さて問題は次です。

処分が辛かったのは、大学時代の品々です!

アルバムを始め、学生証、卒業証書、学生時代旅行した時の写真、成人式の時の私が一番綺麗だった時の写真…etc,etc...

 

これが辛かったのには理由があります。

まず、自分が未だに自身と学生時代のステータスを同一視していて、思い出の品々とアイデンティティががっちりと癒着していたからです!これは片付けをする上で、とても衝撃的な気づきでした。もう大学を卒業してちょうど3年が過ぎる頃に片付けを遂行したのですが、未だに自分が学生時代に固執していたことは衝撃的でした。そりゃ…前に進めないよね…と我ながら納得したのでした。

 

そしてもう一つ処分が辛かった原因は、

私のゲロ高学歴を一番喜んでいた両親の姿を、アルバムや成人式の写真を通して思い出させられることでした。

アルバムを手に取った瞬間、母親が「卒業前にアルバム絶対買うからね〜」とか「ねえねえアルバム届いたよ〜」とか逐一私に電話をかけていたことなどを思い出し、高学歴だった私を本当に自慢に思っていたのか、と思うと罪悪感とかが湧き上がってきましたし、成人式の時の最高にキラキラ輝いている写真を見ると(リビングに額縁に入れて飾ってあった)、引きこもって清潔すら保てなくなっている今の私を完全に否定されて、当時の輝かしい時代に戻って欲しいとすがりつかれているようで、腹の底からなんとも言えぬ嫌悪感と憤りを感じたりもしました。

とにかく両親の私に対する思いの癒着を私が感じてしまい、そんなに大切なアルバムならとっておいた方が親孝行か、いやもう過去の私なんだから捨ててしまって問題ない!などの感情が一進一退の攻防を繰り返し、なかなか捨てる決断に到達できないでいました。

最初は捨てられず、部屋の片隅に置いておいたりしたのですが、それでも部屋からどんどん物が捨てられていくに従い、大学時代の記念品も自分を過去に縛り付ける鬱陶しいもの、というように徐々に過去への執着を切り離せるようになり、自分が脱皮していくのを感じられるようになると、卒業証書もアルバムも結果として捨てられました。捨てた後は以外に気分も爽快でとてもよかったと思っています。

 

 

以上が、私の片付け祭りでした。

 

 

片付けが終わるとスッキリしました。

屋根裏部屋もスッキリ。数年ぶりにグルニエの扉を開け放ち、風を通して、窓も開放して、引きこもりの暗かった部屋に空気が颯爽と流れるのを感じると、とても心が軽くなった気分でした。

 

このように、自分が所有しているものは、捨て去る時にどのような過去に執着しアイデンティティを抱え込み、ものを所有することでどのような未来不安に怯えているか、を明瞭に白日の下に晒してくれます。

 

私の場合は圧倒的に、

「過去への執着」

が、所有していたものに現れていて、どちらかというと物によって過去に縛り付けられて自分が所有されていた感じでした。

ちなみに、洗剤やアメニティセット、トイレットペーパーなどを必要以上に買い込む人は「未来不安型」で、物があふれていて自室で落ちついた作業などをせず、よく外出する人は「現実逃避型」と分類できるそうです。

これは断捨離の師である「やましたひでこ」氏の格言です。

 

 

以上、片付けについての私の、自分整理でした。

これのおかげで、ニート兼引きこもりを脱出するきっかけになったのは疑いようのない事実なので、何か、無性に片付けがしたくなった人は一気にものを捨てて、古い自分とおさらばしましょう^^

 

 

ちーこぶ