cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。あとノンケだけどレズビアン風俗で働いてます。

落ち込んだ時、私は自分にラブレターを書く笑。結構オススメです笑

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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気分屋な私は、以前よりはマシにはなったものの、感情に振り回されることもよくあります。ちょっとしたことで落ち込んで、今この瞬間をないがしろにして変な悩みの妄想に振り回されたりすることもしばしばです。

 

そんな時は自分へラブレターというか、賛美歌のプレゼントではないですが、日記にひたすら自分を褒めに褒めて、これでもかというほど褒めちぎる文を書き連ねて傷心した自分を癒します。

 

あ。引きました?苦笑

 

日常生活を生きていて人に褒められることとかってあんまりないですし、褒められたとしても何か謙遜しちゃって、せっかくの褒め言葉を否定しがちですよね。何か人間て承認欲求がすごい割には、せっかくの承認が得られても拒絶しちゃうという何ともひねくれた癖がありますよね。

ですから本当に自分で自分のことを大切に慈しんであげないと、何故か欠乏の感覚で全身麻痺しちゃって、気づいたらなんか疲れてしまってたりするんですよね。

だから、四の五の言わず、まずはとにかく自分のことを認めてあげて、日々を生き抜く我が身を慈しんであげるといいと思っております。

 

ただ、自分を褒める上で重要なのは「何かをした、頑張った、達成した」からという理由で褒めるのは禁物!ということです。でないと、人は「何かをしない限り認められない。役に立たないといけない」という功利主義・資本主義の罠にはまります。そうすると「使い物にならない自分=不要」という恐ろしい魔の方程式の完成です。

そうではなくて、自分の存在とかあり方とかそのものを褒め続けると、次第に元気が出てきます。でも自分なんて…と思うのはこの人間性の価値を生産性として捉える現代の資本主義の罠に嵌っています。一人の時ぐらい、思いっきり自分の生命としての尊厳を認めていいのです。

 

思えば、人生のイベントで「何か達成したことを祝う」機会は多くあっても、「ただ単に存在そのものを祝福する」機会って「誕生日」ぐらいしかないんです。昇進も、結婚式も、飲み会も、授賞式も、表彰式も、何もかもが、「何かをしたことへのお祝い」です。まさに人間性と生産性を結びつけた現代の資本・功利主義ですね。ちょっといびつです。いかに社会が人間性を生産性と結びつけているかがうかがえます。

 

そうではなくて、もっと「あり方」を大いに大いに認めたい。

ただ存在しているだけ、この世界に生まれてきただけで価値があると思えた瞬間、人は救われると思う。何もしなくていい、ただあるがままの自分の存在そのものが素晴らしいんだと。誰か別の人物になる必要もなく、成功を追い求める必要もなく、競い合う必要も、無我夢中で自己主張する必要もない。ただ今この瞬間に生きていて呼吸をしていることの神秘を実感するだけで、生きる素晴らしさを感じる。ご飯を食べる、それだけでああ生きている、歩くだけで、ああ生きている、雨がふっているだけで、ああ生きている、寒さ暑さを感じて四季を感じる自分がいる、ああ生きている、素晴らしい素晴らしい、私を生きるみずみずしい生命力が素晴らしい、と。

 

話がそれてしまいました。

言いたかったのは、

自分へのラブレター書いてみてください。しかも特別に理由は要りません。あるとすれば今生きている自分への感謝と賞賛です。何か達成したことを探して褒めるのはやめましょう、

ということです。

元気出ますよ。本当に。それに優しくなれる。うん。

 

ちーこぶ