cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。という訳で、こっそりレズビアン風俗で働いてます。

所有という概念から少しだけ卒業したい

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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ふと、所有という概念から卒業したいな〜とぽつりと思いました。

 

恋愛で苦しいのは相手を所有するという発想、つまり、自分だけのもの、と思うからこそ嫉妬とかで苦しくなるんですよね、ということをどこかのサイトか動画から知りまして、

「あ。」

と気持ち良く納得したのがきっかけです。

あ、だから色々と所有が侵害された時の状況を名付ける言葉が多いのですね、と。

浮気、不倫、二股、出来心、魔がさす、泥棒猫、ビッチ、婚約破棄、etc, etc.....

でもこういった概念は、そもそも相手を自分だけのものと思わなければ存在しない言葉たちです。互いを束縛することなく、互いに自由であり続ければ存在し得ない言葉たちです。

これらのことは常識的には否定されておりますが、でも事実として「浮気」とか「不倫」とかの多いこと、多いこと。もうそう考えると、常識が間違っているとしか思えないのです。だからといって「浮気」「不倫」を推奨している訳じゃない。うまく言えないけど、そもそも所有という概念がなければ、これらの言葉すら存在し得ない訳ですから、否定も肯定もない。

 

人が人に惹かれるのは砂鉄が磁石に引き寄せられるように自然な事象ではないのか?そこに変な価値観とか常識の枠組みを無理やりあてがうから面倒なことが起こるんですよね。ただ、惹かれてくっついて、居心地よければゆるいままつながり、気が済んだらすんなりと離れる、相手が別の相手を選んでも相手の意思を尊重する、ただそれだけの単純なことを難しくしてしまうのは所有という概念があるからこそなんですね。と。

 

具体的にいうと、自分の彼氏・彼女、夫・妻が異性(もしくは同性)とどっか行くことにヤキモチ焼いたりするあの感覚のこと。ひどい人だとアイドルがお忍びデートしてただけで怒り狂っている。

私もある。私なんか、付き合ってもないのに、いいなと思っている人が、別の誰かと楽しく出かけたり、恋人と仲良く休日を楽しんだとか聞くだけで、ちくりと、自分でこしらえた嫉妬のトゲが自分の心に刺さる。あ、私バカだな、世間一般的な「所有」という概念で契約された関係にすら至ってもいないのに、もう嫉妬してるんだ、って思うと自分の浅ましさに悲しくなる。

 

だから、所有という概念から少しだけ解放されたい。

だって、

例えばすごく大好きでお気に入りの場所があるとする。私だったら、自然豊かで風が心地よくて森林の中で清々しくて水も美味しいのに誰も知らないような太陽の溢れるところで、それでそこへ行って眠ったり花の匂いを嗅いだりすると、すごくリラックスできる。

で、ある日その森へ行ってみると一人、別の先客が来ていた。

そしたら、その人もその森が好きみたいで、でも私とは別の楽しみ方をしている。その人はバードウォッチングをしたり笛を吹いたりして楽しんでいて、やっぱりその森が好きなのがよく分かる。

そしたら普通その人のことも好きにならない?あ、この人もこの森が大好きなんだな。私が知らない森の一面も知ってるんだな、って。じゃ、今日はその人のために森で過ごす優雅な時間をあげて、私はまた別の日に来ようかな〜なんて思ったり。何か嬉しいよね、森の良さを知っている別の人がいるのも。

でも、恋愛だとこれが全然逆になってしまうの。

森が私の「好きな人」だとしたら、ある日森に来た先客は「恋敵」みたいに捉えられてしまう。「私だけの」森に来た。せっかく「私だけの」場所だったのに。居場所を取られたみたいで嫉妬する。排除しようとする。もしくは森に対して、ガードが甘いから向こうが寄ってくるんでしょ、最低、と毒づく。

どれもナンセンス。

だから究極的にはですよ、例えば恋敵が現れたとする。そしたら、嫉妬するよりもむしろ嬉しくなりたいの。あ、あなたも気づいた?やっぱりあの人って素敵ですよね、私たち気が合いますね、私もあの人のこと好きだし、あの人を好きなあなたのことも好きです、ってなりたい。

で、あとは本人に任せるよ。その本人、「好きな人」がどちらを選ぶか、もしくはどっちも選ぶのか、はたまたどちらも選ばないのか、どうするかは相手の自由意志だよね。結局その人は一時的に惹かれただけで満足して気が付いたら離れてたかもしれないし、もしかしたら私の方が自然とご縁がなくなるのかもしれないけど、それは誰もわからない。神のみぞ知る。それで、どうなるのかは私には関係がない。ただそうなるなら、そうなる。ケセラセラ

森にバリケード貼ってコンクリで舗装して「禁猟区!」とか「関係者以外立ち入り禁止!」って看板立てたりしたら、森も息苦しくなるじゃない?で、変わり果てた姿の森をみて、「何か違う。もう好きじゃない」って捨てるのはあまりにも酷でしょう。

 

…と、理想はこんな感じだけど、まだまだ嫉妬という概念から卒業しきれてない。実際そんなことされたら、すごく傷つくと思うし。

以上は、頭の中で考えたことで、経験を伴わないから単なる絵空事?机上の空論?みたいな感じのままだ。

そう、上手く言えないの。ただ、相手を束縛しないし、私もして欲しくない。それでもお互いに愛し合うことは可能だと思うのです。今のゴリッゴリの固定観念の中では上手くいかないかもしれないし、言葉でも上手く説明しきれてないのですが、少しずつ所有の概念から解放されたいな、と思います。

もっと自由に素直に愛をささやいて結ばれて離れてまた新しい恋をして、みたいなそんな軽やかでフワフワ温かい愛の流れに身を任せてみたい。

 

 

ちーこぶ