cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。という訳で、こっそりレズビアン風俗で働いてます。

あー気分が重くてすみません。。。あと自分へのエールと、人を試すのは嫌だっていうのと。色々な雑記。

こんにちは。

ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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何か久しぶりに重〜い雰囲気をまとってます。

つい最近も落ち込んだのですが、それとは何か種類の違う重い感じです。

前のやつは、そんなに重くはなくて、何か気分がクサクサして、ふん、ってつっぱねてやりたい!と思える心の元気さとかがまだあったんだけど、今回のは違うな…

…重い。

ただただ、重い。

エネルギーが吸い取られるくらい、重い。

人に脅されている時ってこんな感じなのかな?っていうような重さです。

じとっとした陰湿な蜘蛛の巣に絡め取られて、エネルギーが吸血されて腐っていく感じ。

 

と、冷静に客観的に捉えられるようになると、少しだけこの重たい雰囲気と距離をとることができるので、少し落ち着きます。

深い闇に足を突っ込むと底なし沼に引きずられるように気分が重く沈んでいきます。でも、抜け出そうと思えばいつだって抜け出せるはず。気分を変えようと思えば変えられるはず。全部は変えられなくても、暗闇ばっかり見るんじゃなくて、少しだけ暗闇から視線を外して、どこか別の小さな明かりに焦点を合わせて気分を持ち直すこともできるはず。いつだって光は近くにあるんだと思えればそれで。うん。

 

この世には色々な事象が起きて、色々な光の当て方があって、色々な角度からのものの見方があって、どれを選択して世界を作っていくかは自分次第なんだと思う。だから、自分の感性に安心して従っていいんだ、まるごと全部自分を肯定していいんだ、と安らかな気持ちで事に臨んでいきたい。

世間では恥ずかしいと思われている事とか、否定的な事でも、自分が自分に◎を出せるなら、その感覚に安心して、身も心も人生も私自身も全て流れに委ねたい。心揺らいでしまう時は、「他者」とか「社会」とか、実体のない幻想と比較をして他人軸で自分を解析している傾向にあると思う。全ては自分軸で。納得いくように。そしてそんなに深刻に考えず、重く考えず、軽やかに生きて行く自由が自分にはあるんだと、忘れそうになったら今一度思い出したい。

 

一方で、自意識が過剰すぎると辛くなったりもする。頭だけで考えた経験を伴わない屁理屈事がわんさかと溢れてきて、色々とケチをつけては人生の流れを堰き止めて私を路頭に迷わせる時がある。

だからそんな時は自分という概念を捨てたら楽になるかな、って思う。「私が!」「私が!」「私が!」って一々五月蝿い自我に対して「ちょっとウザいから黙って?」と、言い方悪いけど一度死んでもらえば、評価とか判断とかそういうものがスコンと抜け落ちて、ありのままの物事と出来事だけを見つめられる気がする。ただ「事が起きている」それだけ、という次元。そこに変な判断を下そうとする頭でっかちな裁判官もどきの自分には引っ込んでもらう、というか消滅してもらう。ま、実際のところはこれが結構難しくて、頭ではわかっているのだけど、うまくできない。と、いうことは究極的には全然理解できてないんだと思う。

 

嫌な事が起きた時、人生が自分を試しているのかな?って考える時もあるけど、人を試すような人とか物事はそんなに好きじゃない。だからそういう発想は最近捨てるようにしている。

人を試すって、なんか嫌い。あんた何様よ?って思う。うまく言葉にできないけど、人を試すような人とか事物とは仲良くなれない気がする。だからテストとか就活が好きっていう人は滅多にいないのでは?

人を試すって、嫌。駆け引きがまず嫌いだから、人の能力?とか本気度?とか誠意?とか愛情?を引き出すためにそんな捻くれたことをする人は信用できない。人を試すのが好きな人は、究極的に自分を愛せていない。相手の気持ちとかを引き出して、それが自分の欲しいものだった時に限り安心する人だ。欠乏の感覚があるから、相手の好意・誠意で自分が安心したいだけ。心の底で、欲しいものが手に入らなかった時に自分が傷つくのを恐れている。損をするんじゃないか、愛しても意味がないんじゃないか、私の期待に応えてくれないんじゃないか、そういう諸々の恐れを密かに抱いている、と私は推測する。自分の機嫌を自分で面倒見てあげるのを放棄していて無責任じゃないかな。だから、もっと自分を自分で大切にできるようになろうよ、と思う。そして思い通りにならない他者をコントロールしようという執着を捨てようよ、と。そんなことで貴方の尊厳は失われませんよ、と。なんか真面目に考えてみました。

 

あー今日も何だか思考がとっちらかっているけど、書きたいことは書けたと思います。ちょっと、気分が重くなる出来事があったので、ブログを書きながら深く潜って行けたのでよかったかな、と思っています。

でも、「気分が重くなる出来事」も私がそう捉えたから「気分が重くなる」のであって、出来事自体に罪はない。ただ、その起きた出来事に、私の中にある「引き金」を引かせる何かがあったんでしょうな。それが何かわかってるのかも。

つくづく私は他者にコントロールされるのが嫌いなんだと思う。

私のペースでゆったり穏やかに生きていきたい。そしてそう思える自分に最高の謝辞と感謝を…。我に幸あれ。穏やかで平和で安寧で朗らかで明るくて自由で軽やかで。優しさと包容力で包み込んであげられるように。

 

はーすいません。思いの外、落ち込んでしまったので、慰めの言葉を自分に多用しました。読んでくださった方いらっしゃいましたら、ありがとうございました。

 

 

ちーこぶ