cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。という訳で、こっそりレズビアン風俗で働いてます。

中卒で大学受験の準備期間は社会的肩書きがない!

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

旧帝大の医学部卒業して在学中に海外大学にも留学したくせに免許も取らず卒業して、北米を少し放浪した後、そのまま引きこもり、途中社会人として中途採用されたものの、いやになってすぐ退職してその後通算で2年半もニート兼ガチ引きこもりしましたが、昨年奇跡的に社会復帰し、小さな会社で働く、完全に学歴の無駄遣いをした紆余曲折人生を送っているものでございます。

ちなみに小学生の頃は不登校も経験し、中高一貫のお嬢様学校に通っていたにもかかわらず高校一年終了時に中退するという、破天荒人生です。そりゃー普通の就活とかできるような人材じゃねーよな、あっはっは、と一人ボケツッコミしております。

婚期も完全に逃しつつある二十代も残りわずかに迫るアラサーですが、

本人はいたって幸せです💕

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私は天気みたいにコロコロと気分がよく変わります。

それで、ここ数日は暗黙が垂れ込めるような気分から一転、とても晴れやかでなんと自分は自由な存在なんだ、と心が洗われるくらい清々しい気持ちで過ごせております。

 

大人になるにつれて、不自由を感じる人が増えているのかもしれないけど、

私からしたら大人になればなるほど、歳を重ねれば重ねるほど、どんどん自由度が増して、それはそれは身軽になっていく。

 

だって幼い頃というのは完全にお国の制度に縛られている。

小学校、中学校、は義務教育で、

で、その後、高校と大学は自由だけど、大半の人がそのレールに乗る。

肩書きのない人生で一番辛かったのは、いつだったか、教えてあげよう。

それは大学卒業後、引きこもり無職ニートしていた時ではない。確かに苦しみで言えばその時はものすごく辛かったのですが、なにせ「ニート」とか「引きこもり」とか「無職」など、まっとうではないものの一応社会的に認知されている肩書きがあったからです。

なので、肩書きのなかった人生で辛かったのは、

高校を中退して、浪人生活に入るまでの空白の2年間です!

中卒だけど、大学受験に向けて誰よりも早く塾に行き、真面目に勉強をしている。でも働いているわけじゃない、学校に通っているわけでもない、だから身分を尋ねられた時にどうやって答えたらいいのかわからないのです。この時の私、17とか18歳。名前の付いていない、なんとも宙ぶらりんな立場でした。というわけで、名前が与えられていない以上、社会的には存在していないも同然です笑。あの時は辛かったねー。見本になってくれる大人がいなかったから、ただひたすら勉強するしかなかったよね、それで大学に合格するのが唯一の存在証明だった。

でも、というか、だからこそ?私は浪人が決まった瞬間、すごく嬉しかったのを覚えている。

あ、浪人生という肩書きがもらえたと。社会的に抹殺されている訳ではなく、人権が認められているなあと、感じていた。それまで定期券とかも、学生ではないのに学割を使うことに後ろめたい思いを抱きつつも、在学中のをコソコソと継続し続けて使い倒していたが、晴れて大手の予備校に所属したこともあって学生証が付与されたため、堂々と学割定期券を購入できたことも嬉しかった。

 

で、話がそれましたね。

 

私は大学卒業して、就活とかもうまくいかなくて、社会的にまっとうな道からレールを外れて、引きこもりも経験したので履歴書はカッスカスで出世街道とかからは完全に離脱した人生ですが、それでも今一人暮らししていて、自由だな〜、学生の頃よりも自由だ〜とよく感じます。

それは、親元を離れたことや仕事を始めて食い扶持が自分で確保できるようになったこともあるとは思うのですが、やっぱり何をしても「親」とか「先生」とか「年上」の人にやいのやいの、言われなくなったことが大きいです。学生だったら、理不尽なこととかもわんさか言われたと思うけど、大人になったら言われないもんな〜、としみじみとこの自由(自分で好き勝手生きても文句言われない権利)を謳歌しています。

何より、レズビアン風俗とかに行っても笑(周囲に公言しない限り)非難されなくて、自分のエロスとかも堂々と肯定できるのがいいよね。

唐突にカツ丼食べたくなってもふらりと出かけられるし、四六時中ふて寝していても誰からも文句言われないし、いい天気なんだから起きなさいよと勝手に窓を開けられて人権侵害されることもないし笑、ご飯食べなくても「偏食はやめなさい!」と怒られたりもしないし、村主章枝氏のヌード写真集買おうかなどうしようかな〜と本屋で迷う自由もあるし、お金の使い方にとやかく言われることもないし、いや〜大人って本当に自由ですな。

 

大人になっても、自分の人生を生きられていないと感じる人もいるでしょう。私もつい最近まで、そう感じていたし、たまに気分が落ち込むとそう思う時もあるけど、そういう時人は、自分の外にある何か変な?基準と比較して自分の価値を決めている。そんなことしなくていいのに、勝手に「社会」とか「他人」と言う名の「ものさし」で自分を査定して、基準値に満たない自分を責めてしまっている、もしくは理不尽だ、理不尽だ、として社会や他人を攻撃している。

…そういうのやめて一度、捨ててみましょう?

なんちゃって。

でも、難しいのはわかる。ずっとそういう風な教育を受けてきておりますもの。難しい、というか本当は単純なことなんだけど、社会的幸福モデルにしがみついている限りは難しいです。

何が正解かなんて誰もわからないですし、むしろ「正解」を求めるのは、もうやめたほうがいい。「正解」という言葉の裏には「間違い」が隠れている。定義を外れるとダメという常識にとらわれている。自分の行いの正当性をいちいち判断するのはもういいよ。素直にやりたいと思ったことをただやればいいですよね。で、つまらなかったらやめればいいし、楽しかったら続ければいい、ただそれだけなのではないでしょうかね。

 

せっかく義務教育から外れたのに、洗脳からは意外と抜けきれないですよね。(だからあんだけ教育には時間がかかるとも言えると思うのですが。)

だから高学歴なくせに免許も取らずに超絶安月給で働く私のことを、

「勿体無い!」

という人には腐るほどあってきたけど、

「何それ!超笑える!よくぞ人生を捨てた!」

と大爆笑する人には会ったことない。

そういう人に会えたら、私は多分ものすごく嬉しい。

「でしょう?もっと褒めて💕」

と馬鹿笑いしたいな。

 

 

ちーこぶ