cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。という訳で、こっそりレズビアン風俗で働いてます。

仕事から解放されたら、どうやって暇を潰していくか。人類の新しい課題…?あとお金の価値観について。

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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最近、職場の人が仮想通貨で大当たりして年収の数倍以上も稼いだと聞きました。

 

それを聞いて色々と脳裏を掠めることがたくさんありました。

 

まず、あ〜とうとう身近な人で億万長者(まではいかないと思うけどそれに近い金額を一瞬にして手にした人)が出たのか〜わ〜すごいな、案外お金持ちになるのは簡単なことなのか、と感慨深く思いました。(私は仮想通貨には投資はしてないですが、こんなに身近な人がお金持になれたんだから、次は私の番?笑 なぁ〜んて思っちゃったりもしました笑。株上がれ〜笑)

 

で次に、羨ましい〜、じゃあ仕事しなくていいね〜と思ったと同時に、はて、でも仕事しなくなったらどうするんだろう?と思った訳です。というのも、私ニートしていたからわかるんですが、正直仕事がないと暇です。最近思うのですが、社会人は生活のためとか目標意識?自己実現?あと社会的なメンツとか体裁を保つために仕事しているのかもしれませんが、私からすると、

「仕事=最大の暇つぶし」

の面もあると思っています。

もし、生活に困らないだけのお金を手にしてしまって、今の仕事が楽しくなかったら必然的に退職することになると思うのですが、その分丸々空いてしまった時間をどう使うか、自発的な時間の過ごし方を試される時が絶対に来ます。ニートしていた時、本当に時間だけはあった。ただ私の場合、生きていてもいいという自信もなかったから、ただひたすらにお金を使わないように引きこもってYouTubeを見たり、図書館に入り浸って本を読んだり、カフェで日記を書く日々を過ごしていて、「暇」というよりは、毎日変な焦燥感と諦めと不甲斐ない気持ちと劣等感、罪悪感、閉塞感で死にそうだったけれど、仮想通貨で大当たりをひいた彼の場合、そんな気持ちも抱く必要もない。だからこそ、退職して自由の身になれば絶対に壁にぶち当たると思う。

「この暇をどうしたらいいのか」

という大きな壁。ぐーたら寝て、のんびり過ごす日々にはすぐに飽きがくる。時間を持て余す日はすぐにくると思う。

そう考えると、ま、彼だけじゃないけど、どうやって自発的に過ごすのか、というのは、人間は大きな課題だと思う。

 

これまでの教育は、「◯◯しなければなりません」主義に基づいて、与えられたことをこなしたり、社会で適応可能な駒として有能に動けるようにするための教育は充実していたと思うのだけど、でも自由を謳歌するとか、自分の好きなことをやる、自己表現をする、という面は全然拡充されてきてないと思う。

これをちゃんと実行しているのは小学校低学年くらいまでの子供たちぐらいじゃないかな。気ままに遊び、好き勝手に振る舞い、泣いたり笑ったり怒ったり喜怒哀楽を自由に表現して、目の前の興味あることに没頭する、みたいな。子供達は自由にというか、思いのままに遊んで、今この瞬間を生きている。でも今の大人たちは私も含めて遊び方を忘れてしまっているわけだから、大いなる暇な時間を与えられた時に、どう過ごし生命としての自分を表現していくのかを今の幼い子供達から学び直す必要がある気がする。

もしくは、自己肯定感をもって毎日を過ごしている、いわゆる「ニート」とか「無職の人」、あとはものすごく自由度が高く、義務からではなく自分のペースで楽しんで仕事に取り組む「個人事業主」とかから、いかにして自由な時間を過ごしているか、をお手本にする必要があるのかもしれない。この点に関して、私は元・ガチ引きこもりニートでありながらも、残念ながら自己肯定感がどん底で腐った毎日を過ごしていたので、お手本にはならないのは、非常に申し訳なく思うし、自分でもはあー残念…という感じですね、はい。

 

もし、ベーシックインカムとかの導入が決まって、しかもほとんどの仕事は機械が代行してくれるような未来が実現した時、人は大いなる暇を与えられてきっと持て余す日が来ます。というか、もう来つつある?仕事をしている人が偉いという価値観がどんでん返し並みにひっくり返る世の中がついに到来するかもしれませんね。

そうしたら、脚光を浴びるのはこれまでの世の中では不遇な扱いをされていた、「ニート」とか「無職」とか「引きこもり」の人たちが、「仕事=当然」という価値観が趨勢を誇っていた時代にどうやって楽しく生きてきたか、という事実かもしれません。

 

今後、貨幣経済も電子通貨にとってかわる時代が来ますね。

でも、そもそもこの「お金」という概念が消える瞬間は来るのかな。今の世の中は為政者が作った「お金」システムで全てが成り立っていて、誰一人として諭吉さんの紙切れを燃やしたりゴミ箱に捨てたりすることもないくらい、お金の価値を疑わない。かくいう私も株式投資とかしているくらいだから、お金は好きである。

でも、もし、今、欲しいと思ったものや、したいと思ったことがお金なしで手に入るようになってしまった暁には、この世の中はすごいことになると思う。人を小さな箱に押し込めていたような制限とか抑制があっけなく取れてしまう、でもカオスになんかならない(最初はなるかもしれないけど)。たぶん人は自由を思い出す。うーん、この辺はうまく言葉で表現できない。ごめんなさい。

 

でも、今私の中の頭には以下のようなことが浮かんできています。

学生の頃、一度だけ大枚叩いて綺麗なドレスを買い、美容院に行き、リッツカールトンで優雅な時間を味わいたくて食事をしにいった。もちろん一人で。すごくいい気分だった。でも今の所、その一回で十分かな。もしお金がたくさんある、もしくはお金がなくとも好きな時にリッツカールトンを利用できるような世の中になった時、果たして私は毎日そこに行くだろうか?と。たぶん、行かない。飽きちゃう。

そのかわり、部屋の掃除したり自然と触れ合ったり、ただ単にぐーたら寝たり、すけべな妄想したりとかそういうことはするかも。ってことは、お金のあるなしにかかわらず、私はもう自分のやりたいことを既にやってしまっているのでは?ふむ。みたいな。

だから逆説的?ではあるけれども、お金のない時からやりたいことをやるって重要じゃないか(それでも、貯金大好きな価値観を卒業できないのだが。)貨幣経済だからすぐには実現できない可能性もあるけど、でも例えばホテルで豪華な食事が夢❤️とかあるなら、お金を少しためて、で、実際にセレブ気分で食事してみたら案外一回で満足するかもしれませんよ。てことは、それは自分がずっとやりたいと思っていたことではなくて、世間から「やりたいと思わされていた」価値観だったと気づくかもしれません。コマーシャリズム貨幣経済の中でも欠乏の感覚を煽っているのが露呈しますね。

あと、実は人間て、既にやりたいことはもうやってしまっているのでは?ということ。お金ないからできない、って言うけど、でもそれって本当かな?みたいな。案外自分の幸せはもう既に実現していて自分が無自覚になっているだけかもよ?みたいな。

これも上手く表現できない、ここまでが精一杯。

 

今日もまた私の頭の中はごちゃごちゃだ。

でも、自分の中ではきちんとそれなりに納得していることです。

未だにお金持ちへの憧れはあるけど、ふと思いました。

一体全体、これは誰が作った「コマーシャリズム(困ーシャリズム笑)」なんでしょう?とりあえず、宣伝効果は抜群で「お金持ちはいいよね!」という価値観の洗脳はこの世の中で大成功を収めておりますね、はい。

 

いろいろとまだまだ考えたことがいっぱい浮かんでは消えていくのですが、ここには書ききれなさそうなので、今日はこれくらいにしようと思います。

高学歴な人でも、思考はとっちらかっているんですよ笑

(ま、私の場合、基本的に頭の中の半分はすけべぇなことばっかりです笑)

 

ちーこぶ