cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。という訳で、こっそりレズビアン風俗で働いてます。

寝起きに、変な悟りのようなもの、が湧いてきたので、メモメモっと。

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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起き抜けにふっと、何か自分悟ってしまった?と、普段は低いはずの鼻が高々となってしまった感覚でフワフワしてしまったので、備忘録的な感じでメモしとこうと思い、パソコンに向かいました。

 

 

ずばり、

 

「変化こそ、生命の生命たる証拠である」的な。笑

「変化することが、自然なあり方なんだ」的な。笑

 

 

ふと思ったんですよ。

双方向的な恩のやりとり、お返しとか、まだまだだなって。

究極的には、恩を受けたら恩返しじゃなくて、次の人にバトンを渡してあげて、そうして流していくのが自然なのでは?と。

別に恩だけじゃなくて。

その場にとどまることなく、ただ絶え間なく変化していくことが、一番自然体なのではないかと。よどみなく流れる川のように、空気も人も常に変化していくことがありとあらゆるものの自然な姿なのでは?と。

 

例えば雨が降る。その雨の同じ蒸気が一切別のところへ移動せず、全く同じ土地の上に再度雲を作り、全く同じ質の雨がまた同じ土地に降る、その変わらないものの繰り返しが続くとしたら、凄く不自然で不気味で気色悪くないか?もしそんな現象があったとしたら、極めて人工的で、とてつもないくらいイビツで、何らかの変な圧力を加えて維持しようとしているのがわかる。非常に気色悪い。

形を変えて、様々に変化し、色々な場所へ行って、循環するからこそ、いいのでは?と。

止まっている水はすぐに腐るが、

流れる水はよどみを知らない。

篭った空間は重いが、

窓を開ければ事は解決する。

 

…生き物の私もそういう自然の摂理の中に生きているのでは?

変化してこそ、生きる命なのでは?

女心と秋の空というが、男心も夏の空も春の空も冬の空も全部全部気ままに変わっていくではないか。

全ては変化していくからこそ、いいのでは?

双方向的な補完だけをしあう関係とかって、もしかして逆に不自然なのでは?

何も循環しないほうがイビツだ。変な平衡を守ろうとする気色悪い力が働いている。

 

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。

 

 

…素敵な言葉ではないか。

 

 

常に変化していく姿こそ、万物の自然なありかたではないのか。

だから私も、息を吸うように、自然に変化していきたい。

受けた恩は別の人に流してあげたい。

一瞬前の自分と今の自分は何も関係がない。ただ変化していく。

物事にいちいち因果関係を求めない。変な理屈をこねない。変化していくことが自然の摂理なら、対象同士を雁字搦めにするような因果関係をこじつけるのはやめる。

ただ目の前の自分でありつづけ、そして常に変化していく。

変わることこそ自然な我が身の等身大の表現と信じ、常に変化ある人生を。

 

時には停滞することもあるだろう、よどんだ水の中に沈み込んで窒息しかけるときもあるだろう、でもそれは屁理屈たっぷりの言葉あそびにしか過ぎない。全ては変化のための前段階だし、何か新しい萌芽を見るためのキッカケに過ぎない。それに、ああ停滞している、と思ったとしても、常に人は変化し続けるものだと思い出したい。もし、同じ状況からずっと抜け出せないとしたら、それは自分で自分に何か変な力を働かせている。人は変わるのが自然。その自然な状況が妨げられているとしたら、何処からか無理な圧力をかけて自分に制限や限界を設けていることに気づかないといけない気がする。

 

無理に変わる必要はない。人は変わっていくのが常である。

肩の力を抜いていこう。目の前の恩恵を享受し糧にし、そして次の人に流し、絶えず変化していき、あげた恩など忘れて、ただ身軽に生きていこう。アイデンティティは常に変化する。外的な肩書きや役割で自分をお縄にするマゾなお遊びはほどほどにして、変化していく自由を認め楽しんで生きよう。

自分の作った小さな枠の中での「変化もどき」の小さな循環に固執しない。手放して、大きな流れに身を任せ、自分を信頼し委ね、道をただひたすらに進む。

 

そんな感覚がぶわ〜〜〜〜〜っと湧いてきて、

今の自分を肯定してあげたい気持ちになりました。

 

 

ちーこぶ