cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいける、元レズビアン風俗です。

小さな遠慮はちょっとずつ小出しにして、なるべく溜めこまない方がいい気がする

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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気まぐれにデザイン変えてみました。

 

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※文章をある程度書きあげた後に、タイトルと内容が全然噛み合わないことに気づきました。ごめんなさい。でも、タイトルが好きだから、このまま置いておきます。

以下この文章は、支離滅裂ですので、読まなくていい記事ベスト10にランクインです。

 

 

「外面そとづら」の社会的仮面なんか被らなくても、明け透けに自分のことを語れる間柄の友人の存在ってすごく大切な気がする。

私の場合は、英語喋れる高学歴を棒に振って半セミリタイヤ(月の半分は休み)安月給会社員やってるとか、ノンケなのに女の人と寝て濡れちゃうとか、レズビアン風俗で働いているとか、そういうことを喋っても全然支障のない人の存在のことを言う。

自分があるがままの自然体でいて、気を使ったりせず、ただそこに存在しているだけを許してくれるような人は本当にありがたいし、貴重だ。何か、その人と一緒の空間にいるだけで嬉しいとか、ほっとするとかそういう感じのこと。

 

で、そういう「今世で出会えたありがとう」的な人と、わちゃわちゃ色々なことを話したいのに、気後れしてしまうってどういう心理なんだろう、って最近ぐじぐじ思った。

 

私の中の「無邪気な幼子みたいな『私』」は、何でもかんでも、

「ねえ聞いて!聞いて!あのね!」

ってその人に何でも、犬がしっぽ振ってるみたいに無邪気に話したがっているのに、無駄に大人になってしまった「外面の『私』」が、元気いっぱいで今にも躍動しそうなワクワク全開の幼子の『私』を理性で抑えつけたりして、

(ま、でも今言うことじゃないよな)とか

(また今度話せればいいよね)とか

(いやいや冷静になって考えてみれば別にそもそも話す必要なんかないじゃんね)

などど、立派な御託を並べては、その人と話したい気持ちを抑えてしまっている。

そういう風に「本当は話したいのになぜか遠慮しちゃって話す機会を失っていく自分」は人間的にクソつまんないな、生命力が目に見えて削がれていくな、って感じている。すげーつまんない大人になっちったな、って思う。(でも、よくよく思い起こしてみれば昔からそうだったのかな…三つ子の魂百まで、とやら?)

ま、簡単に言えば、素直になれない、の一言なんでしょうか。

 

話したいのに話せない、躊躇・遠慮・我慢してしまう自分の心理について少し時間を割いてみたいなって。

で、結論。

私、その人のこと、同性とか異性とか関係なくとても好きなんだな、って思った。

でも、それだけじゃ、結論に至れないや、ってすぐ思い直した。

 

ひとつネックになっているのは、「私ばっかり連絡してる」って思ったことかな。私ばっかり好き、とほぼ同義語。釣り合っていないとバランスが悪いのは万物の摂理である。それで、いい歳して、自分ばっかり連絡取るのは嫌だな、って思ってる。

でもなんで、そんな風に思っちゃうんだろう、そんな器の小さい自分が嫌だなって思ったりする。

この気持ちが一方通行で、収穫の日の目を見る機会のない青い果実のまま、腐ってしまう気がしている。だったら、さっさと剪定してバッサリいきたいのにそうも行かない。

性懲りもなく、この状態から抜け出せずにいる。

 

あーだめだ、書きたくてもかけない。

変なプライドが邪魔をしてる。

色々なごちゃごちゃした思考がひとつにまとまらない。

もう泣きたい。

 

ありがとう、でも好きじゃない、と言われたら、世界は終わる笑

 

 

 

 

支離滅裂なちーこぶ