cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいけます。という訳で、こっそりレズビアン風俗で働いてます。

次にどうしたらいいかって行動してみないとわからないですね。あ。恋の話です笑

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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別に自己啓発とか、説教とかしたいわけではなく、

自分を「できる風」に見せたいわけでもなく、

ただ純粋に「そう」思ったので、こんなタイトルになりました。

自分用のメモですね。

 

 

ずっと考えすぎて、同じ話題が脳内で堂々巡りしてること、私はよくある。

で、その堂々巡りから抜け出せないのは、新しいアクションを起こしてないからだなー、としみじみ感じている。

 

例えば、好きな人がいたとする。

で、そこから先に進まない。友達以上にならない。むしろ疎遠すぎて「友達」としても関係性が有効なのかよくわからなくなってくる。(もう無効かな)

そんな状態がずっと続く。

それで自分の気持ちが「好き」なのか疑いさえ出てくる。

ネットや本を読んで、いろんな人の色々な愛のあり方を知る。

でも、自分が何もアクションを起こしていないから、現実は変わらずにすぎていく。

そして、自分がどうしたいのかもよくわからなくなっていく。

 

脈なしとかありとか、そういう次元ですらない。

ただ自分から積極的な行動を取っていない限り、この状態が続いていくと知りながら、私はただ黙って現状をやり過ごしている。

これまで色々とそれなりに自分で好きなことやって気ままに生きてきたけど、恋愛に関してだけは全然人として成長していない、これは真実だと思う。

 

昔から、素直に好きな人に「好き」と堂々と言える、もしくはあからさまに態度で表せる人の生態が謎すぎた。今でも、そういう人を見かけたら、すぐさまカバンからメモ帳を出して全ての言動を事細かに観察しメモしたい、それぐらいもう私とは異星人。そしてそういう人を尊敬している。

「好き」という感情はどんなに度合いが小さくても、大切に大切に取り扱ったり、育んであげないと、いつの間にかわからなくなってしまう。

私も、別にこれは違うよね、とか色々抑制しているうちに「好き」という感情がよくわからなくなってしまった。理性で抑えられるようになってしまった。

でもそれももうずいぶん昔だ。小学校高学年の頃には好きな子の名前を友達に打ち明けるのは止めていた。それから、もう十数年。この癖を取り外すのは結構大変そうだ。

 

恋愛する能力だって、体力と同じですよね。

ちゃんと日頃からトレーニングして、恋愛筋力をつけておかないと、衰えてしまって、いざという時にちゃんと人を愛することができない。「愛する」と言うのは行動であるからこそ、恋愛基礎体力がいる、うむ。

フルマラソンでできることが、恋愛では全然できない。

いい歳して、なーにやってんだか、と私は思う。

 

恋愛で絶対やってはいけないこと、「自己犠牲」

これをやりそうになってしまう。

例えば、相手が自分のこと好きじゃないって薄々分かっていて、相手も浮気とかしてるの知ってるのに自分だけ我慢してること、とか。

で、私の場合は、「好きと伝えない」とか、そういうこと。

本当は自分と好きな人が一緒にいられるような選択をしたいのに、あの人(好きな人)が幸せになってくれればいいかな、みたいな、自分の幸せを譲って、自分だけ我慢していればいいや、的な生き方

 

そんなの嫌。

 

こんな風にいうのはおこがましいかもしれないが、

私の人生、私が幸せにならなきゃ意味がない。それは特定の好きな人と思いが成就するとかしないとかに関係なく、とにかく自分だけは絶対に幸せにならないといけないし、それが人生の使命くらいに考えてる。

だから、自己犠牲というのは絶対にダメ。

自己犠牲って大抵は我慢の形で現れるから、自分が何かを我慢してるって気付いたら、その瞬間に何か対策を講じる必要があるとすごく思っている。

我慢は美徳っていうけど、我慢して幸せになった人なんて聞いたことないし、いたとしても個人的には一切参考にしたくない。

というわけで、恋愛でも自己犠牲はよくない。私さえ、我慢すればという考え方は身の破滅だ。うん。笑

 

ま、色々ぐちぐちと言ってきたけど、好きな人に正直に想いを伝える(プラスなこともマイナスなことも)、少なくとも自分は誠実に相手とコミュニケーションをとるのは重要だと思っている。

だから、さっさと「好き」と言えばいいのに。

と思うが、これがなかなか出来なくてですね。。。

むしろ、しなくてもいいかな、って自分でも思っているんですよね、面倒臭いから。苦笑

もうここまでくると、患者ですよ、患者。立派な病気です。素直に好きと言えない病。

相手のためではなく、次に自分がとるべきアクションを知るための重要な過程を踏むことができないっていう…。

振られたらそりゃー悲しいけど、何よりも自分の中で次なるアクションを決めるための大切な通過儀礼を私は逃れようとしている、うん。自分のためにしなくちゃいけない、と思っているんだけどな。いかんせん、やりたくない笑

なら、やらんくてもええかー、と思いつつ、心の何処かで蟠り。

 

 

大人になって思ったのは、

誠実にコミュニケーション、素直に心を開いた話し合いの機会って大切にしないとどんどんなくなっていく。皆んな、仕事でも友達同士でも社交辞令の表向きの会話ばかり。心の底から望むコミュニケーションなど、自分から意識して取り入れないと、どんどんなくなっていく。

最近それをすごく実感していて、

同性とか異性とか関係なく、自分が「好きだ」「大切にしたい」と思う人とは素直に誠実にコミュニケーションしたい、心の底に触れたいな、と思ってきた。

そういう人と人生で会えるのはとても嬉しいこと。

 

だから相手の答えの是非に関わらず、好きと伝えることは大切。駆け引きじゃないんだから。でも、それができないということは、私は拒絶の答えを聞くのを怖がっているのかもね、結局のところ。

あーエゴだエゴ。

 

 

今日はこの辺にしておこうかな。

頭ぐちゃぐちゃになってきたし。

なんだかんだ言ってきたけど、要するに臆病なんだ、という結論に帰着しそうだ。

私をチキンちーこぶと呼んでください。笑

 

 

チキンちーこぶ