cheekob's diary

元・ゲロ高学歴ニート「ちーこぶ」のブログ。あとノンケだけど女もいける、元レズビアン風俗です。

決める恋愛

こんにちは。

元・ゲロ高学歴ニートこと、ちーこぶです。

 

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えー私は、モテません。笑

壊滅的にモテません。

自己肯定感が低いわけでも、トラウマがあるわけでも、メンヘラでもないです。

理想が高いわけでもありません。化粧やオシャレも人並みにします。

それでもモテません笑

周囲からは、「ちーこぶ、恋人とか必要なの?」とか言われるくらい一人で人生を満喫しております。

 

でも、一人でずっといていいわけじゃない。私だって、人との深い信頼関係とか、二人でしか味わえない醍醐味とか感じてみたいです。

けど、一向に恋人ができそうな気配もない、もはや焦りは感じないですが、このままの状態で一生を終えるのは何かスッキリしないなぁ…と悶々とする三十路手前をウロウロしてました。

 

そんな恋愛偏差値底辺の私ですが、最近なんとなくですが、この釈然としない漠然とした疑問について、珍しく答えに辿り着いたかな、と本を読んだりして思うようになりましたので、備忘録的な感じでブログに書いてみようと思いました。

 

きっかけは、

       

この本ですね〜。

結局、私には難しくてあまり理解できなかったんですが、でも

「愛というのは主体的な行為であって、一時の恋愛感情に流される受動的な感覚とは違う」

と、私個人にとってはそのように理解するに至りました。

 

で、そういう金言(?)に出あうと、同じようなことを言っている著者に出会ったりします。

 

私も、最近思い始めたのですが、

「もしかしたら誰と付き合うか、というのはあまり重要ではない?」

「と、言うことは、自分が『この人にする!』と主体的に決めるという意志に基づく恋愛が肝要」

という仮説(もしくは既に定説)についてです。

 

最低限度の基準はね、そりゃありますよね、DVする男(女)はダメとか、生理的に受け付けない人は無理とか。

でもそういう最低必要な基準をクリアした時って、恋愛対象となる人って結構多いと思うんですよね。あ、ちょっといいな、くらいの人ならこの世にごまんといると思います。

 

その中から、

「どの人が一番私を幸せにしてくれるのか?」

という、受け身の姿勢ではなく、

ある程度人柄とかを知ったならば、

「この人にする」

という、主体的な自分の意志に基づいて自分で愛すると理性的に意思決定を下す。それが、信頼と安心のパートナーシップを築く上での重要なことなのではないか、と思い始めました。

まさに自分で「決める恋愛」

恋愛の場面で理性的になるとは、凄いカルチャーショックだったりするのですが、これがもしかしたら、パートナーシップを築く上で重要なのかな、とぼんやり思えてきました。

 

そうすると巷にあふれる、脈ありサイン、とか、駆け引き的なものが全てどうでもよくなる、というかお門違いにみえてくる。脈ありサインとか見分けるのは、「あいつは俺に/私に気があるんじゃね?」という「好かれたら嬉しい」受け身の恋愛を楽しみたい時には、いいかもしれないけど、こと、本質的に相手を信頼し、パートナーとして人生を生きようと思う時には、非常にまどろこっしい、というか、全然お門違いな気がしてきました。

 

受け身の恋愛というのは、主導権を明け渡している。相手からの好意を待っているだけ。それは赤ちゃんのように、お母さんからの無条件の愛にひたすら包まれ守られている状態を望むのとと同じ。

だから、自ら主体的な愛情表現が拒絶された時の傷を負うことはない。逆に言えば、自分から人を愛したとして、拒絶されてもそれを受け入れられるぐらい肝が据わってないと、人を愛するということは難しい。「人は、愛されない恐怖より、愛する方の恐怖を感じている」とフロムさんはおっしゃってました。受動的な愛を待つのは簡単、でも人を愛するという好意は、愛される保証もないものを勇気を出して自らを相手に開放するという、精神的にも成長してないとできない代物なのですね…。

 

話を少し戻します。

もし、相手から好意が得られたなら、自分も相手に好意を抱く、というのは、実は非常に幼稚な恋愛なのかもしれません。

その状態で、いくら好きでカップルになれたとしても、悪い意味ではなく、いずれ恋愛の熱が冷める時はやってくる。相手の嫌な部分も見えてくるでしょう。そしたら、きちんと相手と向き合うコミュニケーションをしない限り、二人の関係性というのはあっという間に崩れてしまうと思うのです。

 

なので、ある程度の最低基準(DVしないとか)を満たし、かつ「あ、この人いいかも」ぐらいに思える人なら、実際パートナーに選ぶのは誰でもいいのかもしれない。

重要なのは、生まれも育ちも違う二人が上手くやっていくために、相手のせいにするのではなく、自分がどうその人と向き合い、きちんと真摯に対応していくか、なのかな、と。

 

私の場合、自分が恋愛面倒臭い、と思っているのは、この「パートナーと真摯に向き合う」という段階に至るまでに、恋の駆け引き的なことをしなければいけない、胸キュンする人を見つけなきゃいけない、とある種の洗脳から逃れられていないから、かな、と。

正直、もう恋の駆け引きとか、惚れたはれた、とか面倒臭い。相手の言動に一喜一憂して、あーでもない、こーでもないと頭を悩ますのは疲れる。でも、互いにどうしたいのか本当の気持ちを打ち明けたり、誠実なコミュニケーションとか、意見をぶつけるために喧嘩に発展しちゃうとか、そういうことは全然面倒くさくない。相手の考えを知るとか、そういうことは純粋に楽しいことだと思うし、私も自分が考えてることを相手に伝えてみたい。

「恋愛のいろは」をすっ飛ばして、そういう段階に行ければいいのに、と心底思っている。

までも、日頃からそういう風な対応を心がけていないと、いざ恋人ができた時に急に真摯なコミュニケーションができるわけじゃないから、日頃の他者との対話が、恋人ができた時も同じように誠実に対応できる礎にはなるのでしょうね。日々、自分の気持ちに誠実でありたい。

 

よく、恋愛は結婚とは別、というけどもしかしてそういうことなのかな、となんとなくわかってきました。

別に嫌いな人と結婚することはないけど、恋愛みたいに「好きッ(胸キュン)」のような感情がなくても、いやむしろないほうが、冷静にパートナーとしての資質を互いに見分けて、居心地のよろしいお相手と人生を共にしていくほうがいいから、恋愛と結婚は違う、と言われているのかな。恋愛に必要なのは感性で、結婚に必要なのは理性、みたいな?

 

と、まあごちゃごちゃといってきましたが、

な〜んか私が言っても空を切るかのごとく、手応えがないのは、

やはり「実務経験」が伴っていないからでしょうな。

うーーーん。

 

でも、そう思うとね、いい人ってどこにでもいるのですよ。

(世の恋人のいない皆様、案外いい人って身近にいるのですよ)

勿論、それ以上にいい人はもっといるのでしょうけど、パートナーシップを築く上で重要なのは、きちんと対話できる関係か、互いに助け合って生きていく資質をもっているか、とかだと思うので、「どの人がいいか」という基準で見るべきではない。

話を戻して。

そう、案外いい人は近くにいたりする。で、そういう人とパートナーになるには、自分からアクションを起こすしかないのですよね…はぁ…。

私の場合、仕事の時は仕事モード全開120%、休日でダラける時は、ダラダラ怠惰モードやる気なしで、活動ゲージ0%(一切の人とのコミュニケーション遮断)、気分が乗らない時は物怖じせずにその場でご飯のお誘いを断る、休みがとれたら一人でちゃっちゃと南国へ飛ぶ、そのくせ自分から人を誘うのは苦手…etc,etc、なんとも隙のない女なのだろうと、めっちゃ思う。。。

隙のない女は誘いにくい。というわけで、自分から誘うしかね、ないよね…と実感しつつ、でも好きなそぶりも一切見せていない私が、どうやって「ちょっと興味のある人を誘えるのかと」悶々と悩み続ける今日この頃。

 

はぁ…

 

もう私らしく、直球に

「今恋人いないですよね?」

「おつきあいしたいんですが」

「私のこと恋愛対象にみられますか?」

「ご飯行きましょう?」

「よろしくお願いします」

と、さっさと色気もなく尋問を済ませて、そのままパートナーとして、二人でコミュニケーションをしたり、色々な場所へ二人で行ったりして、そこから仲を深めていくのもありなんじゃないかな、と思っております。

お相手にしたら、たまったもんじゃないか…しょぼん。

 

けど、やっぱり、相手とかじゃなくて、自分で、

「私が愛するに値する人を積極的に選ぼう!」(某有名女性経営者の名言)

っていう基準で見て、うん、大丈夫と自分で納得する人なら、それぐらい直球に言ってもいいんじゃないかな、って思ったりしてるんですが、ダメかな…

 

うーーん、わからない。

恋はあせらず。You can't hurry love.

 

でももう恋はしたくなくて、私は愛の段階に行きたいです〜。

 

 

ちーこぶ